高嶺の花であるべきだ

ついったじゃ話せない本音や長文を主観的にかくだけ

森田剛の踊りについての戯言

V6 20thAnniversaryコンサートの名古屋に行ってきた。
そこで私はオバドラ担から博担に変わった。それは長野博にどうしようもなく惹かれたからであるが、それと同時に森田剛を担当には出来ないと感じたからでもある。

コンサートにいってその人のことをもっと知って好きになった!だとか○○くん実在してたわ…と思うことはよくある。

しかし私はコンサートにいって、森田剛がよく分からなくなり、それがその存在を疑うまでになってしまったのだ。

森田剛に魅せられた。
彼の踊る姿に魅せられすぎた。


私は専門的なことは一切わからない。
しかし昔からアイドルが好きだったせいか踊ることが好きでずっと踊ってきたし、踊りをみることが好きだった。

森田剛はこれまでに見たことのない踊りをする人だった。


個性的であるがクセがない。
流れるように踊るのにキレもメリハリもある。
軽い踊りなのに雑さゆるさを感じない。
息をするのと同じように自然に踊る。


自分でもかっこよく踊れるんじゃ、と思ってやってみてもなかなか自分の思う通りに体は動いてくれないものである。

だが彼は自分自身の体を完璧に1mmの誤差もなくコントロールできる。
そんな男のような気がしてやまない。

森田剛の踊りは森田剛にしかできないのだ。

憧れる後輩が多いのにも関わらず真似されない理由は真似できないからという簡単な話だった。



私が彼を天才だと感じるのは努力をしていないからではない。ただ、努力という言葉が似合わないからである。
「こうしたらかっこよく見えるだろう」「このパートは目立つからキメよう」そんな考えが見えてこない。

練習は努力ではなく経験に変わる。
だからこそ自分の思うがままに迷うことなく踊ることができる。

そしてその場所、観客、音楽、空気、そのすべてを彼色に変えてしまうのだ。


その音楽は彼が表現するのが1番合ってるのではなく、

彼が表現するからこそ、その音楽になるのではないだろうか。
彼以外の人が踊ってもその素晴らしい音楽にはならないのではないだろうか。

そんな思いが湧き出てくるのである。



これだけ語っても自分の中で森田剛という男が理解できない。それほどまでに凄い男なのだ。凄いとしか言えないほどの。きっとこれは何年ファンを続けても解けないのだろう。
森田剛森田剛である限りは。