忙殺される「表現」(2021.08.04 vol.016)


こんばんは、うぐです。
今回も例のごとく、水バナで語られたテーマについてお話ししていきたいと思います。

「表現」について

こうしてブログで堅苦しいお話をすることの多い私ですが、実は直感的で、感情に任せて物事を判断をすることが多い非合理的な人間です。
文章を書くことは私が唯一得意とする表現方法なのですが、他にも絵を描いたり、作詞をしたり、趣味の領域ではありますが色々な創作活動をしています。

「表現」をすることは昔から大好きでした。
でも私はそれを仕事にしようとは考えられませんでした。抽象的な分、現実味がなく不安の方が勝ってしまったのです。

だから、アイドルに限らず 表現で生計を立てている、立てようとしている方は凄いなと純粋に尊敬しています。

私は所謂「OL」で、これといって珍しい仕事はしていません。マニュアルや規則の通りに仕事をこなす、それでお給料を貰っています。ただそんな生活に慣れていくと、段々自分の意見を持つことが難しくなっていくんですね。
例えば、自分がこれまで従っていたマニュアルを刷新しようとなった時、今の状態が当たり前すぎて、何をどう変えるのが理想的なのか途方に暮れてしまうんです。もちろん「知識や経験が未熟だから分からない」という場合もあるのですが、それ以上にそもそもの思考をする/疑問を持つ脳が衰えているなと嘆かざるを得ない状況に陥っています。

この文章を書きながら、もしかしたら「表現」というものは芸術や音楽などの抽象的な、解釈の幅を持たせるようなものに限らず、『自分はこうしたい!という意志を持つこと』自体を指すのかもしれないなと感じました。それがなかなか出来なくなっているのかもしれません。


それともう一つ、冒頭で絵を描くのが趣味だというお話をしましたが、私が描いている絵には2種類あるんですね。
ひとつが風景や花などを描く「絵画」、もうひとつが所謂「FA(ファンアート)」と呼ばれる好きなアイドルやアニメキャラを描くものです。

前者はまぁほぼ間違いなく「表現」に当てはまるだろうと思うのですが、後者は……実は難しいところなんですよね。というのも、FAというのは表現と捏造の境目が非常に難しいジャンルで。自分の絵によって“描いた対象”が不利益を被るようなことがあってはならないわけです。
受け手によっては描いた側が意図していない捉え方をされる場合もあるので(これは絵に限らず、全ての表現に共通することですが)描く側もその責任を自覚して、出来る限り誤解を生まないような作品作りをしないといけないんですね。

ただそうなると当然、自分の表現したいものや頭の中のイメージが120%表に出せるわけじゃなくて。そうなると「これは表現や創作と呼べるのかな~」「私が描く理由ってなんだろうな~」とネガティブなことを思ったり、思わなかったりするんですよね。

もちろん自分のイラストがきっかけで推しのことを知ってもらえたり、雑誌を買うきっかけになったりなど、FAにしか成せないこともあって、自分が楽しいから描き続けているのですが、まだその『制限の中で満足のいく表現をする』ことが出来ていないので、もっともっと技量を養っていかないといけないなと思っています。

絵が上達すれば全て解決すると信じて!(強い意志)


「表現」について振り返ってみて、
着る服を選ぶのも、話す言葉を選ぶのも、ライブで白のペンライトを振るのも、全部表現なのかもと思ったら意外と些細なことなんだなと気づきました。

私よりも遥かに影響力のある矢花さんが感じているであろうプレッシャーや喜びは計り知れませんが、私もいい意味で誰かの記憶に残る表現が出来たらいいな、と思いました。

明日からもまた矢花さんと自分に誇れる自分になれるよう、人生の勉強頑張ります!


また7 MEN 侍に会える日を夢見て。

 

P.S. 矢花さんの「これが~僕なんです。」という言葉、とても心に響きました。音楽への想いが突出しているがゆえに、別の道を想像されることの多い矢花さんですが(私自身はあまり不安に思っていません)こうして言葉にしてくださることで救われることが沢山あるなぁ……と思います。異担侍日報があってよかった。ありがとうございます。