過去に戻るという選択② (2021.05.12 vol.004)

 

「もし過去に戻れるならどうしますか?」

#矢花黎に物申すというタグからこのブログを読んでいる方には見覚えのある問いかけでしょう。

異担待日報~侍ふ~矢花さん更新分vol.004で、矢花さんから読者に投げかけられた問いです。

 

このブログが投稿された5月12日、私も矢花さんに感化され、 自分の考えについてブログをしたためました。当時の私が出した結論は、「過去に戻ったところで自分自身が変わらなければ何も変えられない」 だから「過去に戻っても意味がない」 という、諦めの感情で溢れたとてもネガティブなものでした。

過去に戻るという選択① (2021.05.12 vol.004) https://kjfm9113.hatenadiary.jp/entry/2021/05/12/220845

 

しかし、そこから今日までの2か月の間で新たな考えが浮かび上がりました。

私はこのお題に向き合う上で考えなければならないあることを見逃していることに気がついたのです。

それは、

「もしも過去に戻れるなら」 を考えるのであれば、「なぜ自分が過去にその選択をしたか」を考えなければならない。

ということです。

人生にAとBという選択肢が現れた時、当時の私がAを選んだのには少なからず理由があるはずです。その選択によってもたらされた結論だけに目を向けて後悔をしても、理由に目を向けなければたとえ過去に戻ったってまた同じ選択を繰り返すに違いません。

最も、今私が思い浮かべることのできる無数の後悔のうち、その選択をした理由そのものが間違っていたと否定できるものは多くありません。

「やりたくなかった」「踏み出すのが怖かった」 あとから思えば怠慢だと思うような理由でも、苦痛だと感じた当時の感情を蔑ろにすることはできません。

それを考慮すると、不思議とあの時の自分の選択は正しかったんじゃないかと感じ始めました。当時の自分の感情を尊重し、自己を守った。 そう考えると、あんなに嫌いだった“当時の自分”を認めてあげられるような気さえしてきました。

私のような人間には難しいことだけれど、きっと生きていく中で自分がした選択は肯定してあげた方がいいのです。

なぜなら、過去にはもう戻れないのだから。

 


と、抽象的なお話をしたところで本編に入ります。

ここから先は「なぜ私が考えを改めることになったか」 というお話です。

この2か月で 私はある2つの考え方に触れました。

それは「①経済学」「② ファクトフルネス」というものです。(啓発本じみてきましたがこのまま突っ走ります。)

 

この2つのキーワードについて簡単に説明します。

①経済学

「経済学」 と聞くと数字やグラフが多く難しいイメージがあるかもしれませんが、実際はとても身近にあるものです。

経済学とは 「時間やお金が限られている中で、人間 (個人・家族 ・企業・社会)がどのような選択をするか」 について学ぶ学問です。持っているお金で何を買うか、与えられた時間で何をするか。私たちがわざわざ勉強せずとも、 日常的に行っているそれらについて研究をしています。 勘のいい人であれば、「選択をする」 というワードで今回のお話とのつながりを感じているかもしれません。

②ファクトフルネス

「ファクトフルネス」とはハンス・ロスリング氏 (医師・公衆衛生学者) が執筆した本の題名で、「人間が持つ10の思い込みを排除し、データをもとに世界を正しく見る習慣をつける」という意味が込められた造語です。人間は実際よりも悲観的に、ドラマチックに物事をとらえる習性がある。その偏見をなくせば世界に対してもっと肯定的になれるだろう、という内容が記されている本です。


さて、この2つのキーワードを頭に入れた上で

~~~ほんへ~~~


ファクトフルネスの中に記された10の思い込み”のひとつに「単純化思考」 というものがあります。「単純化思考」とは、 「ひとつの事柄に対しての原因や解答はひとつしかない」と決めつけてしまうこと。

例えば 「私にお金がないのは稼ぎが少ないからだ」 「私の稼ぎが少ないのは学歴が低いからだ」 といった感じです。 (これは実際に私が過去に戻ってやり直したいと思っていた"後悔です。)

確かにこれらは原因のひとつです。でも、それがすべてじゃない。

私にお金がないのは稼ぎの半分を遠征費として推しに会いに行くために使っているからでもあり、 毎月発売される雑誌やグッズを大した計算もせず購入しているからでもあります。 私の稼ぎが少ないのは残業のない会社で働いているからでもあり、職位が低いからでもあるのです。
 
お金がないことを稼ぎが少ないからだと決めつけてしまえば、 普段の自分の行動を省みる必要もなく、私の稼ぎが少ないのは学歴のせいだと決めつけてしまえば、自分の未熟さに目を向ける必要もなくなる。 無意識のうちに責任を過去の自分のなすりつけているのです。

今の自分の不満を作り上げているのは、 数年前の自分の選択"だけ"ではない。 そう考えられるようになると、過去の選択への後悔が薄れていきます。過去の自分に罪を着せるのはお門違いだと考えられるようになりました。


また、経済学を学ぶ中で、私は「機会費用」という言葉に出会います。

機会費用とは 「あるモノを購入した時、 人間はその他のものを購入する機会を失う。その機会を失うことこそが、そのモノを購入する費用だ。」という考えです。

例えば私の所持金が1,000円の場合、私は700円のフラペチーノを買うことも出来れば、700円のアイドル雑誌を買うことも出来ます。当然ながら両方を買うことは出来ません。ここで私が700円のアイドル雑誌を買った場合、私は700円という硬貨を物理的に失うと同時に「フラペチーノを買う機会」 も失います。ここで失われるフラペチーノが“機会費用”です。

この話は商品やサービスに限りません。時間も希少な資源として考えられます。 私がこのブログを書いている時、私は映画を見る機会を失っています。 私が7 MEN 侍を応援するために時間を使っているとき、 私は他の誰かを応援する機会を失っています。 私たちは複数ある選択肢のうち自分にとってより有益なもの、最も満足感を得られるものを手に入れるために、何かを諦めるという選択をしているのです。

経済学における原則として 「すべての選択は機会費用を持つ」という考え方があります。

つまり、私が過去にしてきた選択はすべて、その他の機会を諦めた上で成り立っているということです。言葉を返せば、過去の選択は当時の自分がその他のあらゆる機会を諦めてでも選び取りたかったものなのだと捉えることもできます。


私が読んでいる教本の中に以下のようなお話がありました。

【学位を取得 (大学を卒業) した方が生涯年収は高くなるのに、なぜ全員が進学しないのか?】

高校を卒業したあなたが「就職」をせずに「進学」をしたとします。 このときにかかる費用は、 何でしょうか?

まず目にみえる費用としては 「学費」と「生活費」です。テキスト代や授業料、 同級生や先生と食事にいくときの交際費などです。これは実際にサイフからお金が出ていくわけですからわかりやすい費用ですよね。

その一方で、私たちは目に見えない費用も支払っています。

ひとつは、大学生活に費やす 「時間」です。
日本の場合、短大なら 「2年間」、一般大学なら 「4年間」という長い期間を費やします。

もうひとつは「給料」と「職業スキル」 です。
もし高校を卒業したあと、進学せずに、就職していたら、この2つを手にしていたはずです。

もちろん 「仮のはなし」 です。

とはいえ、「進学or 就職」 の選択肢があるとき、一方を選ばず、もう一方を選択しました。 進学を選んだ時点で、 「就職で得られたはずの利益」を捨てた(=あきらめた)わけです。

 

引用元: https://rikizoamaya.com/opportunity-cost/

 

この話を読んだとき、 私は「ああ、だから私はこの道を選んだんだ」 と腑に落ちました。

先ほども少し触れましたが、 私は自身の学歴にコンブレックスを抱えています。 大学や専門学校で学んでいる友人たちの芝生が青く見え、周りに誇れるような知恵や技能 のない自分がとても中途半端な人間に思えて仕方がありませんでした。

純化思考で 「うちはお金がないから大学に行けないんだ」 と思い込んでいましたが、私は 「就職」 という道を選ぶことで、 周囲が失っている“目に見える費用”を手に入れ、親にかかる負担を減らし、奨学金という未来の自分にかかる負債にも手を出さず、 就職活動という先の見えない不安に苛まれることもない "確実”な現在を手に入れたのだと気づかされました。

いかにも冒険が大嫌いな現実主義らしい自分の判断だと笑うと同時に、当時の自分にとってはそれが最良の答えだったんだなぁと感じました。

 

もちろん、私は 「就職」を選んだことで「進学」という機会費用を捨てています。 大学に進んでいたら得られたかもしれない専門的な知識や新たな出会い、 思い出は持ち合わせていません。

それでも私は、この“自分らしい”選択を肯定してあげたい、と思いました。 いままでずっと否定的な意味合いでしか捉えることが出来なかった 「自分らしい」という言葉を、初めて受け入れられるような気がしました。

 

私はきっと「学のなさ」をコンプレックスにしているからこそ、「知ろうとすること」を大切にできているのだと思います。 (その結果、「知ろうとしない」人に憤ってしまうという負の側面もあります……。)

こうして経済学に手を出したのも、 矢花さんの動画を見てエフェクターを購入したのも、独学でやっていた絵を大人になって習い始めたのも、もちろん第一は自分が好きで興味があるからですが、その興味の根源はこの"不足感” が由来なのかもしれないなと皮肉ながら感じました。

とはいえ、「知る」ことを楽しいと感じる自分は大好きなので、これからはこのコンプレックスも含めて愛してあげられたらなぁ、と思いました。 (希望的観測)

 


さて、結論までお話しして約4000字弱、ここまで読んでくださっている人はいるのでしょうか。 PCに向き合うこと数時間、 経済学の云々を説明しているあたりでこれは誰向けのブログなんだろう……と虚無感に襲われることもありましたが、なんとか自分の考えをまとめることが出来てよかったです。

返答ブログではない主体的なブログを書くことで、改めて、というか初めて、矢花さんが毎週文章を綴ってくださることへのありがたさを実感いたしました。 また、それと同時に 「読者」を意識して文章を書くことの難しさも体感しました。 矢花さんの達者さを尊敬するばかりです。

 

長くなりましたが、 最後まで読んでくださってありがとうございました。

もしご感想・ご質問等ありましたらマシュマロへお願いします。批判的な意見はガン無視します、自身の価値観を否定される謂れはありませんので(強気)

 

それではまた次のブログで!