“普通”は節約である (2021.12.08 vol.034)

めちゃくちゃ久しぶりにはてなブログ開くな~…と思いつつ、いざ開いたら前回から1ヶ月しか経っていないことに驚きました。それなりに濃厚な1ヶ月を過ごせているらしいです(?)どうも、うぐです。

今回のテーマは“普通”ということですが、正直この言葉を聞くと「普通、ねぇ……( )」と捻くれてしまいます。世間の“普通”に属さないことが多いので、この言葉自体に疎外感を感じてしまうんですよね。

(追記:私が「みんなは普通で私だけ違う」と感じていても、もしかしたら私が普通だと思ってるその人も同じ悩みを抱えているかもしれなあで、そうすると“普通”なんてものはあるようでない虚構の存在なのかなぁと思いました)

ということで、そんな私が“普通”について持論を展開しても暗くなるだけなので、今日は私が“普通”について見聞きした話で「なるほどねぇ~」と納得した話をしようと思います。

 

世の中になぜ “普通”や“定番”が存在するのか。
それは「悩まなくていいから」

普通や過去の経験というのは一種の思考停止です。

「皆が良いと言っているものは良いものに違いない」「前に食べて美味しかったから今回も美味しいだろう」などという安心感から、たいして調べたり比較したりもせずその商品を選んでしまう。

とても恐ろしい誘導ではありますが、それは時にとても便利です。

なぜなら“普通”があることで『そんなに時間をかけなくてもいい選択』に時間を費やさないからです。

例えば「明日会社にどんな服で行こう?」とか「明日何時に会社に行こう?」とか、毎日毎日『どうしたら自分にとって一番得があるだろう』とイチから考え直していたらキリがないですよね。

そんな時「周りに合わせればいいや」とか「昨日と同じでいいや」といった“非合理的”で適当な思考が自分を助けてくれるわけです。

もしかしたらそれは自分にとって最善の手じゃないかもしれない。でも、今よりは絶対損をしない。人間は「得をしたい」気持ちより「損をしたくない」気持ちの方が強い生き物なので、つい失敗しない“普通”を選ぶんだそうです。

これは行動経済学や心理学で研究されている人類共通の思考なので、冒頭でお話した『マジョリティとマイノリティが存在する普通』とはまた別の、ある意味 “本当の普通” なんですよね。

“普通”や“当たり前”という言葉で括られるのが嫌いな私でも、人間の心理には抗えないのだなぁ……と思うとなんだか皮肉っぽくて面白いなぁと思います。

マイノリティ自体はなくならなくても、マイノリティが肩身の狭い思いをする世界じゃなくなればいいなぁと願いながら、これからも最高の“異担侍”を応援していきたいと思います。

 

おしまい。