追記についての御礼 (2021.06.16 vol.009)

 

こんばんは、うぐです。

私のブログも毎週恒例になってきました。

 

今回はブログの内容についての言及ではなく、矢花さんがとった“行動”そのものに対してのお話です。

 

「音楽」と「音が苦」の話については、私は現時点ではまだ「音が苦」を経験していない人間なので、特に語ることは出来ません。前回のブログを読んだ時も、まぁ苦しみながら弾くよりも楽しみながら弾けたらそれに越したことはないよね、と漠然とした感想を抱いたのみでした。

ただ、私の周りにも矢花さんのブログを読んで「音が苦は悪なのか?」と疑問を抱いた方がおりました。その方からお話を聞く中で、なるほど そういう経験をしていれば“音が苦より”という言い方は引っかかるのかもしれないな、と彼女の意見についても理解することが出来ました。

 

彼女の意見と、矢花さんのブログ 両方を見聞きした上で率直に思ったのは「音が苦を否定したいわけではないんだろうけど……」ということです。

なぜなら矢花さんだって「音が苦」を経験している人間だろうから。音楽大学という進路に進み、数々のステージで楽器を披露してきた矢花さんが、苦心してないわけがない。まぁこれも、今回のブログを読むまでは憶測でしかなかったのですが。

音楽の苦さ・辛さを経験した上で、あのような発言をしているのだから、きっとその思考に至るまでには様々な過程があったのだろうと推測をしておりました。

 

で、実際 今回のブログで「音が苦より音楽であるべきなのは“LIVEに限り”」だという追記があり、音が苦を否定する意図はなかったと本人の口から聞くことが出来たのですが。

 

正直、これが「矢花さんのブログの行間を正しく読み取れていた」のか「矢花さんを否定したくないから防衛本能が働いた」のか、判断がつきません。

(追記:矢花さんの意見に盲目的になっているのではないかと自身を疑ってこのように書きましたが、前述した彼女の意見を『反論』と称しているコメントにモヤっとしたので分厚いフィルターはかかってなさそうです。異論ではありますが、反論ではないと思っています。)

昔から文章読解は得意な方で、筆者の人柄も含めて何を伝えたいか読み解くことが出来る……と自負はしているのですが、国語のテストのように自分の理解が正しいか答え合わせ出来るわけではないので「矢花さんはきっとこう思ってるよ!」とは誰にも言えませんでした。

 

だから今回、追記という形で矢花さん自身が発信をしてくださってとても嬉しかったですし、安心しました。

 

実はここだけの話、vol.006で「人物像のズレ」についてのお話があった後、読者の中で解釈が二分化していることに、とてもモヤモヤしていたんです。

私は「理想像を自己像に引き寄せたい」と解釈したんですが、「自己像を理想像に近づけたい」と捉えてる方もいて。私は矢花さんの『情報を載せる』という発言から、今でも自身の読解が正しいと信じているのですが、答えは矢花さんにしか分からないから声を大にして発信するわけにはいかない。

そんなことをして、もし私の認識が誤りであれば、それこそ矢花さんの自己像と乖離した「矢花黎」が生まれてしまうわけで、私はそれに凄く怯えているんです。

当時は結局こんな弱音を矢花さんに吐くわけにはいかない、過干渉だとお手紙を書くことをやめてしまったのですが、今回のことで「読者の意見を読んで思うところがあれば、きちんと認識合わせをしてくれるんだ」と分かり、すごく救われましたし、信頼感が増しました。

 

多分これからも文章が真意と違った捉え方をされてしまうことはあると思います。私も、矢花さんも。どれだけ文才のある方だって、全員が正しく読みとれるような文章は書けません。多分。

多少解釈が違っても許せるところに追記をしていてはキリがないと思いますが、矢花さんが譲りたくない部分、誤解されたくない部分については、またこうして言葉を足してほしいなと思います。

 

矢花さんがその姿勢を続けてくださる限り、私も安心して水バナとそれに対しての感想を読み続けることが出来ます。

 

いつも本当にありがとうございます。

今後ともよろしくお願いいたします。

 

 

P.S.

先々週で言及した自撮りについて、先週今週と続けてアップしてくださって本当に嬉しいです。重ねて御礼申し上げます🙏