二十面相は定義? (2021.06.30 vol.11②)

『真夜中のオカルト公務員』という漫画を読みながら、ふと 「明智小五郎と二十面相」 はこの漫画でいう「宮古新とウェウェコヨトル」のような関係性ではないかと思った。

宮古新とウェウェコヨトル」 を超簡単に説明すると、安倍晴明の子孫である青年と神様だ。ウェウェコヨトルは神様であるために、 人間の常識は通用しない。ウェウェコヨトルは宮古と出会った当初、彼のことを 「晴明」 と呼んでいた。

ウェウェコヨトルの判断基準はこうだ。
①僕の声が聞こえること
②僕のことを「琥珀」と呼ぶこと (「琥珀」は晴明がウェウェコヨトルに付けた名前)
③晴明と匂いが同じこと
だから宮古新は 「晴明」なのだと言っていた。 そこに名前や容姿は関係ない。

明智小五郎も同様の思考だったのではないか。
明智を目の敵にしており、互角に渡り合える
②変装の大名人である
③世間を驚かせるようなことをしたがる
だから 彼は「二十面相」なのだと。その中身が遠藤平吉だろうが田中太郎だろうが関係なかったのではないか。

現に明智小五郎は二十面相の変装自体を見破っているわけではない。 犯行の手順から予測を立てて二十面相であろう人物を特定したら本当に変装だった、という解き方をしているのが常だ。二十面相に対してある種の信頼を抱いているように思える。(その結果、 二十面相に「白ひげの博物館長さんが、 実は怪盗二十面相だったなんて、いかにも明智先生好みの思いつきだ。」と言われている回もある)

そう考えると二十面相の中身が複数人いるという説もない話じゃない。なぜなら、二十面相が遠藤平吉である必要はないからだ。

もしかしたら"明智小五郎”という存在も「二十面相の正体を暴く側の人間」 をそう呼んでいるだけなのかもしれない。

名前?容姿?振る舞い?性格?思い出?
自分についての記憶をなくした友人を、以前と同じ気持ちで友人だと呼べますか?

私たちは何をもってその人をその人だと判断しているのでしょうか。