思うことをやめたくない (2021.06.30 vol.11)

こんばんは、うぐです。

矢花さん改めましてモボ朗読劇『二十面相』~遠藤平吉って誰?~ お疲れ様でした!

明智小五郎出演作品をある程度履修した後に観劇した身からすると、スズカツさんの二十面相・明智小五郎・小林少年の解釈が非常に分かりやすくて面白かったです。私の解釈と一致している部分もあれば、新たな発見となる部分もあり『読者の数だけ解釈がある』というのはその通りだなと感じました。

朗読劇の内容についての掘り下げ?思案?は、既に下記ブログで行っておりますので、今回は前編「自分語り」後編「I Know.の私の考察」についてお話しようと思います。

モボ朗読劇「二十面相」観劇後、思案する (2021.06.26 昼夜公演)
https://kjfm9113.hatenadiary.jp/entry/2021/06/27/150009


1.『思う』ということ

矢花さんのブログを読んで、ある経験を思い出しました。

それは私が、会社の社員旅行で石川県にある21世紀美術館を訪れた時のことです。
私は祖母の影響で昔から美術が好きだったので、21世紀美術館に行くこともとても楽しみにしておりました。自分のペースで回りたかったので一人でゆっくりと館内を回り楽しんでいたのですが、ふと耳にこんな言葉が届きました。

『アートとか意味分かんないよね(笑)』

同僚の集団の発言でした。

なんてもったいないんだろう。残念だ。

芸術に歩み寄ろうとしないその姿勢に憤ったことを覚えています。どうして分からないことを切り捨ててしまうんだろう。分からないことはつまらないことじゃないのに、と。

ちなみにその時に私が見ていた作品がこちらです。
https://www.kanazawa21.jp/data_list.php?g=30&d=5

壁にある黒い(実際は青色だそう)楕円。
実際に見ると、窪んでいるようにも平面のようにも盛り上がっているようにも思えて、部屋の中にあるはずなのに底が見えない。得体の知れないパワーを持った作品です。
見ているとドキドキするのに、妙に落ち着く。何分だってこの作品の前に立っていられるような心地がしました。

そんな素敵な作品を、一瞥しただけでどこかへ行ってしまった。とても悲しかったです。

私がこの作品を楽しめるのは「知識があるから」ではありません。作者であるアニッシュ・カプーアさんの略歴も存じ上げませんでしたし、美術の技法も詳しくありません。与えられた情報でいえば、楽しめないと切り捨てた彼ら・彼女らと同じです。

何が違うのか。

「抽象的なものについて思う・考える気があるか」ただそれだけです。

「思う」とは…ある物事について考えをもつこと、信じること。眼前にない物事について心を働かせる、想像すること。

作者は何を伝えたいんだろう。何を表現したかったのだろう。この作品を作っている時どんな感情だったんだろう。そして、この作品を見て私は今どういう感情を持っているのだろう。

そう思いを馳せる時間にこそ、価値や意味があります。そこで得た解釈や感情に間違いはありません。
我ながら啓発本じみてきて怖いですが、これが私の考えです。

このブログを読んでいる中にもしアートが分からない方、何も感じないという方がおりましたら、「なぜ何も感じないのか」考えてみてはいかがでしょうか。

 

2. I Know.についての考察

前提条件。これは“私の”解釈です。
私の解釈を肯定する必要はありませんが、それと同時に否定することも出来ません(※矢花さんを除いて)

それを理解した上で、読んでくださる方はどうぞお進みください。ただ私の中でも不明確な部分が多く存在するため、文脈等支離滅裂になるかと思います。ご容赦ください。

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私の中には3つの解釈があります。

①最初の印象/感情を尊重したもの
②歌詞や台詞を読んで辿り着いたもの
③矢花さんのブログを読んで感じたもの

 

①最初の印象/感情を尊重したもの

私のI Know.の第一印象は「浮気された女の恨み歌」でした。もちろんこれは耳に入ってきた音や言葉のから得た印象なので、改めて歌詞を読み込むと結びつかないところもあります。が、確実に私が感じたものなので一応記しておきます。

・全編を通して女性視点

・全部聞いた~傷の苦しみまで
→恋人の過去を知った女性。

・言っちまえば~のらりくらり誑し
→改めて探ってみると今現在も彼が女遊びをしていることを知る。

・「私全部知ってるよ、本当はね……」
→彼を問い詰めはじめる。

・満たされたい渇望に手を染めりゃ
→自分だけを見てほしいという渇望。

・ギターソロ&ブルースハープは男女の言い合い、彼女の怒り

・素晴らしき世界~
→愛する彼のいる素晴らしい世界

・清くBring it on~
→好きだからこそ、その分裏切った彼のことが憎い。アンチに変わる瞬間

・あーだこーだ喚いて~止められぬ嫌悪
→言い訳がましい男に冷めていく。次第に溢れる激しい憎悪。もう顔も見たくないという彼への嫌悪。

・「私全部知ってるよ、本当はね?」
→彼を切り捨て、関係を終わらせる様子。

 

ですかね~…。矢花さんが意図しているものとは違いそうですが、まぁあくまで私のイメージなので…😌
個人的にはこの解釈が一番「その日暮らしのらりくらり誑し」という詩がしっくりくる気がしてます。これは私の、言葉に対する勝手なイメージなんですが、どちらかと言えば男性を指しているように感じるんですよね。私が女性だからでしょうか……。

 

②歌詞や台詞を読んで辿り着いたもの

これは矢花さんがサマパラ最終公演で語った「全てを知っている男」の話を主軸としています。

・全編を通して“物知りな男”視点
「私全部知ってるよ、本当はね」は彼が出会った女性の台詞

・全部聞いた~苦しみまで
→男は街で出会った女性から身の上話を聞く。

・言っちまえば~のらりくらり誑し
→男はその女性を「自分のことしか考えていない馬鹿な女だ」「こんな女に引っかかる男も馬鹿だ」と見下している。

・「私全部知ってるよ、本当はね……」満たされたい渇望に手を染めりゃ
→自分が見下している女が、自分が知らないことを知っていると言う。そんなはずはないという焦りと、俺にまだ知らないことがあるのならという好奇心。“何でも知っている男”は情報に飢えていた(渇望)そして女へ近づく。

・ギターソロ&ブルースハープ
→何があったんだ~~~!!!(考察しなさい)いやもうここが“説明されない”の最高ですよね。情景が動くようなギターの音や、途中から入ってくる叫び声や荒々しい息のようなブルースハープ、そして前後の歌詞の繋ぎを考えると、ここで何かがあった(男が知りたくなかったことを知った)ことは明白なのに、想像の余地しかない。好きだなぁ……。

すみません、感情が昂って話が逸れました。

真面目に話すと、ここで男は痴情に溺れていくんだと想像しています。自分が見下していた女に振り回され、自身も「こんな女に引っかかる男」になってしまう。自分の愚かさを知ってに絶望する。そんな場面かなと。

もしくは(少し話は飛躍しますが)女性は彼の母親で「実は私は貴方の本当の母親じゃありません、貴方の本当の母親は私が殺しました」と打ち明けられる、とか。今まで自分が信じてきたものが全て崩れさるような絶望と衝撃が表現されているのではないかと推測しました。うん、発想がいちいち残虐なのよ。

・素晴らしき世界~
・清くBring it on~
→世界は神ゲーでありクソゲー。感動し讃えたくなる時もあれば、全て壊してしまいたいほど地獄に感じる時もある。

・あーだこーだ喚いて そう甘くねえんだぞ
→歌詞通り。いくら喚いても声を上げるだけでは世界は変えられない。

・じきに沸き立つ心中
→「じきにはじまる心中」と歌っている回もあったそうで……お前を殺して俺も死ぬ、と殺気立っている。

・止められぬ嫌悪
→女への嫌悪と世界への嫌悪。そしてなによりも醜い“自己”への嫌悪。

・「私全部知ってるよ、本当はね?」
→ほら、だから言ったでしょう?と言わんばかりの一言。いつの間にか女に見下される側になっている。


……完ッ全にBADENDですね、これ。いや間違いなくそうなんだけど。
改めて文字に起こすとなかなかにヒステリックで、いかに私が幸せに満ち足りた物語を嗜んでこなかったかが分かりますね。そういう思考/嗜好だからしゃーない。

ただやっぱり全体を通して見ると、これが私の解釈として一番不整合がないかな~と思います。詰められてない部分も多いですけど、矢花さん自身も考察できる余地が出来るように作っているとの事でしたので、まぁ漠然としたイメージがあればいいのかな、と。あとは未来の自分に期待で(丸投げ)


③矢花さんのブログを読んで感じたもの

これは矢花さんがvol.3でお話されていた通りです。
情報の取捨選択を誤って、見たくない部分まで見てしまった男。あるいは嘘に踊らされて憤慨、疲弊してしまった男の様子が描かれているのかな、という。考察というか、受け売りです。
世界はただ美しいだけでも、醜いだけでもなく、そのどちらもが混在している。無数に溢れる情報の中で、どの情報を選び取り人生を豊かにしていくのかは“自分次第”だということで。“真実”を追求することだけが、幸せだとは言えないよねぇ……


というところで、非常に長くなってしまいました。
矢花さんほどじゃないからいいか(?)

自己肯定感の薄い人間ですけど、自分の感性だけは否定せずに生きたいものですね。


おしまい。