『染、色』の余韻に浸る (2021.07.09)

こんばんは、うぐです。

本記事は本日配信されました舞台「染、色」を拝見しての感想/考察となります。よって、本編中のネタバレを大いに含みます(というか結末についてのお話ばかりします)のでご了承ください。
また、私は原作の方の「染、色」を読んでおりませんので、的はずれな発言ばかりしていたら申し訳ございません。これから読む予定ですので、考えが変わった部分があれば都度修正・追記いたします。

~本編~

正直、最初の展覧会で黒い影が出てきた瞬間に「深馬の別人格……?」と思いました。そしてそれは、深馬が初めて壁にスプレーアートを描くところ、真未が「深馬が眠ったあと」にしか現れないことでほぼ確信に変わりました。深馬は二重人格であり、真未は深馬と記憶を共有しない別人格でした。

私がこれにパッと気づいたのは、以前から二重人格や多重人格というものに興味があったからです。専門的な知識は全くないのですが、本作を見る前から二重人格にまつわる作品を読んだり、見たりしていたので、頭の中にそういった選択肢がすぐに思い浮かんだのだと思います。

素人が数年前に調べた知識なので、誤っていたら申し訳ないのですが、二重人格というのは元の人格、本作でいえば“深馬”の心を守るために生まれるものです。

深馬が抱える悩み。
実力以上のものを求められる環境や、自分よりも優れた人間がすぐ隣にいるという劣等感、評価されるものを描かなければという不自由さ、そして就職の焦りや父親の病気などなど……そういった抑圧から解放されたいという思いが真未を生み出したのだと思います。もしくは、そういう環境に“絵を描くことを楽しむ”という感情が奪われつつあることに焦った心がが生み出したのかもしれません。

二人が同一人物であることを考えると、深馬の『他の誰とも会っていない』という発言も、真未の『深馬が助けてって言ったんだよ』という発言も誤りでないことが分かります。

真未は、深馬の中の「絵を描くのが楽しい」という心そのもの。可能性に満ち溢れていて、『君はなんにだってなれる』と深馬に訴えかけます。ただし真未は深馬の「自由に絵を描き続けたい」という感情でもあるので、深馬がスプレーという“絵を描く道具”をなくそうとしたり、深馬が真未の存在を切り離そうとすると、ひどく焦って子どものように泣き喚いたり、深馬に縋ります。ただそれも全て深馬の心を守るための行動なんですよね……

真未と初めて一緒にスプレーアートを描いた時の深馬の嬉しそうな顔を思うと、真未と出会えてよかったねと思うと同時に、別の人格を作らないといけないところまで追い込まれていたんだな苦しくなりました。初めは白いスプレー1本で描いていた絵が、回数を重ねていくごとに色鮮やかになり、壮大になり、それと共に深馬と真未も親密になっていく。

深馬は真未と出会った当初、真未が腕に塗料を塗るのを見て『汚れ』だと言ったんですね。一方で真未はそれを『むしろ洗ってる』と、塗料にまみれた状態が正常なんだと言います。なんとなくですが、深馬が絵を苦痛だと思っている心情を表しているのかなと思いました。その後、深馬はその真未の思いに感化されたのか、杏奈が塗料を汚れだと言った時にひどく激高します。深馬の気持ちが真未に傾いている、依存し始めていることを感じました。
もしくは深馬の中の真未の人格が出てきた、とも捉えられるかもしれませんね。


最終的に、真未は深馬と統合します。真未は消えたわけではなく、深馬に戻っていったという解釈をしています。

理由としては、一番は服での表現。本作では白が深馬本来の色、黒が真未の色だと私は捉えています。基本白いシャツに黒いズボンを履いていた深馬が、ポリダクトリーという真未との思い出に依存するのをやめ、決別すると決意した後のシーンでは、上がグレーのパーカーになっています。(深馬と真未の統合が始まっている?)
そして、北見と原田と和解した瞬間、そのグレーの服を脱ぎ捨て、深馬は再び白のシャツに戻ります。もしかすると退院するまでの間に精神面での療養があったのかもしれません。
深馬が白に戻ると、ずっと黒ずくめだった真未が白いワンピースで現れます。真未がずっと叫んでいた苦しみがようやく報われたような気がして嬉しかったです。


深馬は大学を辞めず、絵を描き続けるという選択をします。留年したことで優等生というレッテルも剥がれ、就活への焦りや、実家に戻るという選択肢もなくなり、“自由”を取り戻しつつあるのではないでしょうか。

退院後、深馬がどのような作品をつくるのかは描かれていません。
真未と共に過ごしている頃、あるいは真未と出会う前のような生き生きとした絵を描き続けられるかもしれませんし、かえってまた死ねない絵を描き続けることになるかもしれません。

人の顔にスプレーをかけたり、己の作品を壊したり、自分にとって都合の良い虚構の記憶をでっちあげたり、楽しくも過激であった『真未』との生活。ポリダクトリーが滝川であるという“妄想”を作り上げている時、あの場にいたのは真未ではなく深馬でした。もしあの場で深馬が真未の言葉に落ちていたら、真未が主人格になっていたのかもしれません。

 

私は真未がいなくなってよかったとは思いません。こういう性格なのでどうしても真未に肩入れしてしまいます。だから、深馬にはこれからも真未という心をないがしろにせず、共存してもらいたい。

深馬が最期を迎えるとき、己の人生に悔いがないことを願うばかりです。